Special Columnスペシャル コラム

日本文学史に残る名作『沈黙』
ゆかりの地を巡る旅へ

長崎市遠藤周作文学館

キリシタン弾圧下の長崎・外海地区を舞台にした小説『沈黙』(新潮社刊)。キリシタン禁制の厳しい日本で残忍な拷問を受け、棄教したとされる師の真実を確かめたい。そんな想いから長崎に辿り着いた宣教師たちの苦悩や、人間にとって大切なものとは何かを描いた不朽の名作です。外海地区は、遠藤周作が愛した角力灘の景色を一望できる場所に建立された「沈黙の碑」や、彼の没後に残された約3万点にもおよぶ遺品・生原稿・蔵書等が展示される「遠藤周作文学館」など、遠藤文学ゆかりの地として親しまれています。遠藤周作が実際に訪れた場所に注目しながら、『沈黙』の舞台を訪ねてみませんか?

キリシタンの里・外海地区に
残された信徒の足跡

枯松神社

「沈黙の碑」から車を走らせること約8分。人影のない山奥に佇んでいるのが「バスチャン屋敷跡」です。この屋敷には、日本人伝道士バスチャンが役人に見つからないよう隠れ住んでいたと言われています。そして『沈黙』の舞台として広く知られている「黒崎教会」は、遠藤周作が隠れキリシタンの取材で訪れた場所。聖堂は信徒が奉仕と犠牲の結晶として一つひとつ積み上げたレンガ造りとなっており、その内部では優しい光が映える美しいステンドグラスが印象的です。更にそこから車で4分の場所に位置するのが「枯松神社」。バスチャンの師であるサン・ジワンが祀られる神社で、国内に3ヶ所しかないキリシタン神社のひとつに数えられます。

長崎市街地で、
キリシタン殉教の歴史を辿る

日本二十六聖人殉教地(西坂公園)

『沈黙』の作中で、ロドリゴがついに踏絵に足をかけた場所である「長崎奉行所立山役所」。原作では本博多町(現・万才町)にあるとされる奉行所ですが、現在は長崎歴史文化博物館で遺構と復元された建物を見ることができます。また、取材当時に遠藤周作が立ち寄ったお気に入りのお店のひとつ「銀嶺」も、同じ敷地内で営業を続けられています。そして『沈黙』の作中でフェレイラが拷問を受けた場所でもある「日本二十六聖人殉教地」。この丘で外国人宣教師6人と日本人信徒20人が処刑されました。信仰を理由に処刑された殉教者たちのことはヨーロッパなどにも伝えられ、1950年にはカトリック教徒の公式巡礼地としても定められました。

棄教と改宗、再会を描くために
遠藤周作が訪れた場所

風頭公園

『沈黙』の作中で棄教を誓ったフェレイラと、それを確かめるために長崎へ潜入したロドリゴが再会するシーンのモデルとなった「西勝寺」。ここにはフェレイラの誓書が書き添えられた“きりしたんころび証文”の書き損じが残されており、遠藤周作はその証文を見るため度々訪れたそうです。そして、棄教したフェレイラが暮らした場所として描かれているのが「晧臺寺」。取材中、ここでフェレイラが眠っているお墓を探した遠藤周作でしたが、見つけることのできないまま長崎の旅を終えたとか。小説を書こうとするとき、まず眼に浮かぶと話すほどに長崎を愛していた彼は「風頭公園」に赴き、よくフェレイラが生きていた時代を想像していたそうです。

県内各地に点在する
『沈黙』の舞台となった場所へ

横瀬浦公園から望む八の子島

長崎県内には『沈黙』の舞台となった場所がまだまだ点在しています。捕縛されたロドリゴが舟で近くを通ることになる「横瀬浦」は南蛮船渡来地として栄え、護送の後に上陸した「大村」では、領内の至るところで殉教者の血が流れたと言われています。さらに、キリシタンが背中を断ち割って熱湯を注がれるなどの拷問を受けた「雲仙地獄」や、キリスト教伝来の地となった「平戸」。そして「五島」ではロドリゴがキチジローに裏切られるシーンが描かれるなど、長崎市街や外海地区に留まらない数々の足跡が残されています。長崎はまさに、幾度も取材で訪れた遠藤周作の心の故郷なのです。